つわりの症状は人それぞれで、およそ次のようなものが挙げられます。
一方『産科婦人科用語集・用語解説集』によると、つわりは「妊娠によって起こる消化器系の症状を主とした症候で、悪心、嘔吐、食欲不振などを主徴とするものであり、この程度が増悪し病的状態に至ったものを妊娠悪阻とする」と定められています1。
妊娠した女性の約8割が、妊娠7~12週に悪心や嘔吐を経験するといわれています。
つわりの症状については、50%は妊娠14週までに治り、90%は妊娠22週までに治癒するが、10%はそれ以後も症状が続くとの報告があります。経産婦より初産婦に多く、多胎妊娠、胞状奇胎では頻度が多いことがわかっています
2。
つわりは大きなトラブルとして捉えられることが少なく、症状が一過的であることからも、妊婦が我慢をするものと捉えられがちです。
しかし、少しでも症状が軽減できるように何かできることはないのでしょうか。
ここでは、消化器系の症状を中心につわりのメカニズム
と栄養について考えてみたいと思います。(味覚や嗅覚の変化については別に取り上げます)
つわりに多い嘔吐は、脳にある嘔吐中枢が刺激されると起こります。摂取した食物が有害であったばあいに即座に排出するためのシステムと考えられています。実際には嘔吐中枢を刺激する経路は主に以下の4つが知られています。
嘔吐中枢が刺激されると迷走神経、交感神経、体性運動神経を介して嘔吐が起こります。胃の幽門が閉ざされ、食道括約筋がゆるみ、胃に逆流運動がおこり、それとともに横隔膜や腹筋が収縮して胃を圧迫し、胃の内容物が排出されます。
嘔吐の神経伝達に関与する神経伝達物質として、ドパミン、セロトニン、ヒスタミンなどが知られており、これらのレセプター(受容体)は制吐薬のターゲットになっています。
一方、嘔吐に伴ってプロラクチンなど様々なホルモンの血中濃度が変化することが知られていますが、その役割はまだ不明です。
実はつわりの原因は完全にはわかっていません。発症時期、期間、程度、症状、どれをとっても人それぞれで、一つのメカニズムでは説明できないのかもしれません。ここからは、これまでの研究で明らかになってきたつわりの原因について、その仮説を紹介します。
妊娠に伴って、さまざまなホルモンの分泌が変化します。つわりの重い妊婦さんと軽い妊婦さんの血液中のホルモン濃度を比較することにより、つわりに関連するホルモンが調べ られています。例えば、hCG(Human chorionic gonadotropin:ヒト絨毛性ゴナドトロピン)濃度の高い妊婦さんではつわりが重いことが知られています4。また、hCG過剰により甲状腺ホルモンやエストロゲンの分泌亢進が起こっている妊婦さんはつわりが重いとされています5。しかしながら、これらのホルモンが上述した嘔吐メカニズムにどのように作用するかについてはまだわかっていないようです。
一方、妊娠中にはプロゲステロンやエストロゲンの分泌も亢進します。これらのホルモンは食道括約筋の緊張を低下させ、結果悪心・嘔吐を誘導すると考えられています6。
ビタミンB6は水溶性のビタミンで、アミノ酸代謝や神経伝達物質の合成、脂質代謝などに補酵素として作用します。妊娠によってタンパク質代謝が促進されると、ビタミンB6が欠乏し、悪心・嘔吐が誘導されるという仮説があります。
具体的なメカニズムはわかって
いませんが、実際、つわりの重い妊婦さんでは血中ビタミンB6濃度が低下しており、ビタミンB6の補充によってつわりの症状が軽減することが示されています7。
「葉酸」のトピックスで紹介した通り、妊娠中は胎児の活発な細胞分裂を支えるために、大量の葉酸が必要と考えられています。その結果、母体の葉酸が不足することにより悪心・嘔吐が誘導される可能性が考えられています8。葉酸の代謝経路をブロックする薬剤(メトトレキサート)において、悪心・嘔吐の副作用がみられますが、葉酸の投与で改善することが示されています9。したがって、葉酸不足が悪心・嘔吐などのつわりに関連する可能性はあると考えられます。
精神的な要因も重要です。様々なトラブルを抱える妊婦さんはつわりが重症化することが多くなります。この場合、里帰りや入院など生活環境を変えることによって症状が軽くなることが知られています10。
ほかに、妊娠・分娩に対する漠然とした不安、食事を摂取できないことによって胎児が育たないのではないかという不安などもつわりに影響するとされています。
つわりが悪化し、妊娠悪阻の症状がある妊婦さんはピロリ菌に感染していることが多いという研究報告が複数あります11,12。
妊娠に伴う胃液の減少、体液の蓄積、ホルモンの変化、免疫寛容などが潜在していたピロリ菌を活性化させ、嘔吐などの症状を悪化させるのではないかと推測されています。
ただし、妊娠悪阻とピロリ菌との関係については、否定的な報告もあるので今後さらに研究が必要と思われます。
妊娠がわかると、胎児の発育を願い、栄養をたくさん摂らなければならないと思われるかもしれません。にもかかわらずつわりで食事ができないと、胎児に影響するのではないかと不安に思われることでしょう。
しかし、実際に重いつわりのあった妊婦さんの出生児と、つわりのほとんどなかった妊婦さんの出生児を比較すると、前者の方が出生体重が上回るというデータがあります13。つわりの時に食事ができなくても、症状が軽くなってから栄養を補給することによって元気な赤ちゃんを産むことができると考えられます。
また、無理に食べて嘔吐してしまうと、体力を消耗するだけでなく、水分や電解質が不足することもあります。嘔吐することによって、不安感も大きくなりますし、無理に食べてもいいことはありません。
摂取した食事を消化・吸収するということは、普段無意識のうちに行われていますが、
実際にはかなりのエネルギーを必要とします。
妊娠初期には負担が大きいため、食欲を抑えようとしてつわりになるのかもしれません。
実際に、つわりの意味は、カロリー摂取を
抑え母体のインスリンやIGF-1( Insulin―like growth factor-1:インスリン様成長因子-1)
というホルモンを低下させ、母体のタンパク同化合成を抑え、栄養配分が胎盤発育に有利にさせるためだ、とする考えもあります14。
以上のことを参考にして、つわりによる栄養不足については不安をもたず、食べられるものを食べるようにしましょう。
母体のダメージを回復させるのを優先させ、体調がよくなってからおいしく食事をする方が良いと思われます。
さて、以下には食べられる状態だったらお勧めしたい食品や栄養素を紹介します。
海外ではつわりの症状を改善する食品として多くのエビデンスが得られています15,16 副作用も胎児への影響の心配もないことから妊婦さんに摂取をお勧めできます。ショウガがつわりの症状を改善するメカニズムとして、胃液
の分泌を促進し、消化吸収を高めることが挙げられています。
また、ショウガに含まれるジンゲロール、ショウガオール、ジンゲロンといった成分はセロトニンレセプターに作用し、制吐作用を発揮する可能性が示されています17。妊娠初期のつわり対策としてはじめに試すには、安全で有用な対策と言えるでしょう
前述のように、つわりにおける制吐作用のエビデンスがあります。つわりの症状の改善が期待できるので、可能であれば摂取をお勧めします。ビタミンB6を多く含む食品は、肉・魚類、にんにくなどです。
最近の研究によれば、ビタミンB6の少量投与でもつわり軽減効果があったとのことです18。ただし、市販のサプリメントにつわり軽減効果があるかどうかについてはまだ証明されていません。
つわりを軽減するというエビデンスが得られています19。しかし実際には、どのビタミンが効いているのかはわかっていません。上述のようにビタミンB6には制吐作用が示されていることから、ビタミンB6の可能性が高いとされています。
葉酸は、つわりの症状を軽減するという報告があります8。葉酸入りのキャンディも販売されており、食欲のない場合でも摂取しやすくなっています。
NTDsの発症予防の意味でも摂取をお勧めします。
以上をサプリメントなどで服用する場合は、事前に医師と相談されることをお勧めします。
一方、つわりの症状がある場合には控えたい栄養素もあります。経口鉄剤は一般に胃腸への刺激作用があることが知られており、摂取すると吐き気を感じる人も多くいます20。
摂取をやめるとつわりが収まったという報告例があります。また、鉄剤入り葉酸サプリメントを鉄剤なしの葉酸サプリメントに変更した場合でも3分の2の人がつわりが軽くなったと報告されています21。吐き気に影響するのが鉄そのものなのか、製剤中の他の物質なのか、ということは判明していません。ですが、鉄剤を自主的に摂取している場合には一度やめてみるのもいいかもしれません。ただし、医師の指示で鉄剤を摂取している場合には指示に従ってください。
つわりには自覚症状以外に診断基準がなく、症状改善効果を十分に検証できるシステムがありません。したがって、科学的に効果の認められる対処法というのは確立できずにいます。あくまで進行中の研究内容から推察するに、食べられないときは無理に食べようとせず、不安を減らすこと、体を休めることが一番です。 一方、食べられそうなときは前述した食品や栄養素を摂取することに加え、以下のような対策を試してみることをお勧めします。
つわりの症状は人それぞれで、なかなか周りの人の理解が得られず辛いことが多いかと思います。
しかしながら、つわりのひどかった女性から生まれた子供は、3歳、7歳時の知能指数が高かったという研究報告があります22。
エビデンスとしてはまだ十分ではありませんが、つわりは悪いことばかりではないのかもしれません。つわりを恐れることなく対処しましょう。