株式会社みらいたべる 産育食ラボ

DOHaD説について 

健康で丈夫な赤ちゃんを産みたい、子どもが生涯を通して健康に過ごして欲しい。そう願わない親はいません。でも子どもの健康を守るって具体的にどうしたらいいのでしょうか?実は赤ちゃんがお腹の中にいるときや授乳期から、その子の将来の健康のためにできることはたくさんあります。中でも妊娠中、授乳中の母親が自分の栄養状態を整えることで、産まれてくる子どもが大人になってから病気にかかるのを防げるかもしれない、ということをご存知でしょうか?

日本三大死因(注1)にも数えられる心臓疾患ですが、遺伝的要素や食習慣によるところが大きいとよくいわれます。たとえばウチの家系には心臓病を起こした人が多いとか、タバコの吸い過ぎや太りすぎは心臓に悪い、といったものです。しかし実際には、家系や生活習慣に全く問題がなくても心臓病を発症する人はいるのです。

イギリスのデヴィッド・バーカー博士は心臓病の多い地域を調べたところ、新生児の死亡率が高い地域と重なることに気がつきました。不思議な現象ですが、博士は関連性を見出し調査を進めます。幸運なことにロンドンの北にあるハートフォードシャーというところに、成人した人々の出生時の詳細なデータが残されており、これをもとに疫学的調査(注2)を行いました。すると妊娠中に栄養が不十分だった母親から産まれた子どもは低体重児として生まれ、成人してから心臓病など様々な生活習慣病を引き起こしやすいことが明らかになったのです1

博士は成人病(今では生活習慣病ともよばれる)の要因が胎児期や乳児期の栄養状態により形成されるという、「成人病胎児期発症説」いわゆるバーカー仮説を1986年に提唱しました1。

この説を裏付けるような悲劇的な出来事があります。第二次大戦末期、ナチスドイツはオランダの西部に対して食糧封鎖を行いました。寒波も手伝ってオランダは著しい食糧不足に陥り、飢餓による多くの犠牲者を出しました。この歴史的な飢餓状態の中、その当時の妊婦がどれほど空腹に苦しんだかは想像に難くありません。当然のことながら新生児の発達にも大きな影響を及ぼしました。

その当時に産まれた子どもは今ではすっかり大人になっていますが、近年、追跡調査が行われています。その結果、当時の飢餓状態の妊婦から産まれた人々からは心臓病、糖尿病、高血圧や精神疾患、またはメタボリック症候群の患者が通常よりも高い割合で見つかったのです2,3,4,5

現在バーカー仮説はDevelopmental Origins of Health and Disease (DOHaD)説という、より広い概念となって国内外で広く研究が進められており、21世紀最大の医学学説とさえしかしエピジェネティクスに不可欠なメチル基の合成は、葉酸のみによって成り立っているわけではありません。ビタミンB6、B12などのビタミンB群や亜鉛などの様々な栄養素が関与し、葉酸の働きに協力しています。

この例のように、摂取した栄養が体内で必要な物質に代謝されるためには様々な栄養素を必要とします。単独の栄養素だけに着目していると、その栄養素の摂りすぎによる弊害や、異なる栄養素同士の関係を見逃すことになりかねません。バーカー博士の著者の中でも、『母親と赤ん坊をはぐくむのは、特定の栄養素ではなく、バランスのとれた多彩な食生活』であることが強調されています7 -p127

『人間の身体は、栄養素が単独で働いて作られているわけではなく、いくつもの栄養素がたがいに作用しあっている。日々の活動の中で、ある栄養素が必要かどうかは、ほかの栄養素の存在に影響される7 -p130。』

では、DOHaD説の観点から、妊娠期、授乳期の食生活を中心とした注意点を見てみましょう。

妊娠以前

女性は妊娠する以前から、健康な栄養状態を心がける必要があります10- p286。ハーバード大学のチャヴァロ博士は‘食生活と妊娠の関係’について明らかにすべく、女性看護師18000人を対象にした大規模な調査を行いました。その著書『妊娠しやすい食生活10』の中で、妊娠の確率を増すような食生活は女性にとって生涯にわたって健康の維持や増進に役立つ、と述べています。

妊娠に気づいてからは食生活に気をつかっている、という方がほとんどだと思いますが、それ以前の時期ではどうでしょうか?
この時期で強調すべき点は我々が漠然と想像しているよりも早く、胎児はお腹の中で発達を遂げているということです。受精後第3週から第8週 (2ヶ月)までの間に脳や心臓など体の器官の基礎がつくられます11。特に神経系の発生は開始が早いので注意が必要です。たとえば妊娠中のアルコール摂取によって起きる奇形、全前脳症は特に妊娠1ヶ月目におこりやすく、前脳や顔面中央部の奇形を引き起こします11-p356

妊娠したそのときから赤ちゃんの形成はスタートします。約1ヵ月後、妊娠に気づいたときにはすでに体の基礎がつくられつつあります。たった1ヶ月ほどのことだし、妊娠に気づいてから食事に気をつければいいかと思われるかもしれませんが、この期間に脳の原形などがつくられるとしたら、アルコールやタバコなどの影響が気になるものです。この日に備えて、日頃から母体が栄養状態を整えておくことの重要性がおわかりいただけると思います。

妊娠期

受精後第8週から第38週頃までに各器官は成熟し、胎児は発育していきます。第8週に8gであった体重は、出生時には3400gくらいにまで成長します。その差は425倍にもなることからも、この時期に母体がいかに多くの栄養をとるべきかが容易に想像できます。ところが若い頃からのダイエット習慣の影響か、低体重で生まれる赤ちゃんは年々増加傾向にあります12

上述のオランダ飢餓事件でもみられるように、この影響は何十年も先になってから生活習慣病の増加として現れてくると考えられます。 また最近、妊娠中の偏った食生活は生まれてくる子どもの精神の発達に影響を及ぼす、という報告がされました13。妊娠中にソフトドリンクやスナックなどを多く含む不健康な食生活をしていた人の子どもは、5歳までに‘うつ’や不安症、注意欠陥・多動性障害といった傾向が強く見られたそうです。また幼児のころから野菜不足など偏った食生活を送っていた子どもは精神的発達障害に陥りやすい、との結果も出ています13

授乳期

授乳のためにも、母体自身にとっても食物からの栄養が重要であることはいうまでもありません。栄養素によってはお母さんの栄養状態に左右されて、母乳中に含まれる量が著しく減少してしまいます。

中でも脂質は母乳の総カロリーの約半分を占める乳児に大切な栄養素です9 –p420。神経系の発達に重要な必須脂肪酸は脂質に分類され、体内で合成することが出来ないため食事から摂取する必要があります。主にイワシやマグロ、サケ等の魚介類に多く含まれます。 さらに赤ちゃんと親のスキンシップが子どもの将来の健康に大きく影響することが知られています14,15
マウスを使った研究で、生後母親から十分な愛情を受けなかった子ネズミには行動に異常がみられ、これがエピジェネティックな変化によって引き起こされるものだということがわかっています。
母乳哺育が望ましいとはよく言われ母乳哺育が望ましいとはよく言われることですが、母乳哺育ではないにしても、目と目をあわせた話しかけや抱っこそのものが脳の発育、情緒の発達に非常に大切だと考えられます。この話しかけに不可欠なのは母親の精神的な余裕や体力であり、父親も含めて子育てへの周囲の協力や理解が欠かせません。

「たべることはみらいにつながる」とは一見あたりまえのようですが、次世代を育む母体のとる食べ物が、その子の健康や性格にまで影響しているとしたら、、、一度、日々の食生活をふりかえってみてはいかがでしょう。

参照文献

  1. Infant mortality, childhood nutrition, and ischaemic heart disease in England and Wales. Barker DJ, Osmond C. Lancet. 1986 May 10;1(8489):1077-81.
  2. Effects of prenatal exposure to the Dutch famine on adult disease in later life: an overview. Roseboom TJ et al. Mol Cell Endocrinol. 2001 Dec 20;185(1-2):93-8.
  3. The Dutch famine and its long-term consequences for adult health. Roseboom T et al. Early Hum Dev. 2006 Aug;82(8):485-91.
  4. Cohort profile: the Dutch Hunger Winter families study.Lumey LH et al. Int J Epidemiol. 2007 Dec;36(6):1196-204.
  5. Persistent epigenetic differences associated with prenatal exposure to famine in humans.Heijmans BT et al. Proc Natl Acad Sci U S A. 2008 Nov 4;105(44):17046-9.
  6. DOHaD 研究会ホームページ http://square.umin.ac.jp/Jp-DOHaD/
  7. 『胎内で成人病は始まっている』 デイヴィッド・バーカー著 藤井留美訳 福岡秀興 監修 ソニーマガジン
  8. 『Human Perspiration』 Kuno, Y, , Thomas, Springfield, IL, 1956.
  9. 『Q&Aで学ぶお母さんと赤ちゃんの栄養 周産期医学Vol.42 増刊号2012』東京医学社
  10. 『妊娠しやすい食生活』ジョージ・E・チャヴァロ他 細川忠弘 訳 志馬千佳 監修 日本経済新聞出版社
  11. 『ラーセン最新人体発生学 第2版』 ウイリアム・J・ラーセン 西村書店
  12. 胎児期に形成される?生活習慣病―Barker仮説 福岡秀興 周産期医学Vol.42 増刊号2012 東京医学社
  13. Maternal and early postnatal nutrition and mental health of offspring by age 5 years: a prospective cohort study. Jacka FN et al. J Am Acad Child Adolesc Psychiatry. 2013 Oct;52(10):1038-47.
  14. Parenting quality and children's mental health: biological mechanisms and psychological interventions. Scott S. Curr Opin Psychiatry. 2012 Jul;25(4):301-6.
  15. Epigenetic mechanisms for the early environmental regulation of hippocampal glucocorticoid receptor gene expression in rodents and humans. Zhang TY et al. Neuropsychopharmacology. 2013 Jan;38(1):111-23.

注釈

別項

『胎内低栄養で、成人病の原因ができるメカニズムについて~エピジェネティクス概要』

日本におけるこの分野の第一人者である福岡秀興博士が、胎児に成人病の素因が形成されるメカニズムをあげておられるので、エピジェネティクスの概要とあわせて簡単に紹介する別項1

まずは解剖学的な変化である。一例として腎臓をあげている。出生体重が小さい子どもでは高血圧や腎臓の病気が多いことが昔から知られている別項1。腎臓はネフロンと呼ばれる機能単位が多数集まって出来ている。各ネフロンで濾過、再吸収、分泌、濃縮が行われ原尿が作られるが、ここにある毛細血管の塊を糸球体と呼ぶ。胎内が低栄養の場合には糸球体の数が減少し、少ないままで一生を過ごすことになる。糸球体の数が少ないと、個々の糸球体にはより多くの負担がかかり高血圧、さらに腎硬化症、腎不全に進展するおそれがあるそうだ。

次に考えられるメカニズムとして、低栄養環境に適応した代謝系が生涯持続する場合をあげている。胎児期に低栄養にさらされると、酵素、生理活性物質の受容体、情報伝達系などの多様な代謝応答機構が変化する別項1。たとえ出生後に栄養状態がよくなったとしても、修正することなく持続する仕組みが働いている。

こういった変化は遺伝的、すなわちジェネティックなものではない。遺伝子に直接おこる変化ではなく、遺伝子の働き方に影響を及ぼしこれが持続するような変化を、エピジェネティックな変化と呼んでいる。エピジェネティクスの定義としては「DNA塩基配列の変化を伴わず、細胞分裂後も継承される遺伝子機能の変化を研究する学問領域」とされる別項1–p38

まず“遺伝”(ジェネティック)現象について要約しよう。2001年に全ヒトゲノム配列の解読が成功したことは大きな話題になった別項2、3。ヒトゲノムは約30億対のDNAという物質からできた、いわゆる‘文字列’のようなものである。親から子へと受け継がれる情報を担うのはこのDNA配列であるが、細胞の中で実際にさまざまな機能を行うのはタンパク質である。実は我々が‘遺伝子’と呼んでいるものはゲノム配列の中でも、タンパク質の情報を担っている(コードしている)配列部分のことである。細胞内では遺伝子の転写、翻訳という過程を経てDNAの情報がタンパク質になる。これを‘遺伝子の発現’という。

ヒトの体はおよそ60兆個の細胞が集まって出来ている。その細胞1つ1つに同じゲノムDNAが含まれている。もとをただせばこれら60兆個の細胞のもとはたった1つの受精卵である。受精卵は細胞分裂を行いながら一個体のヒトを形成していく。細胞分裂の過程でDNAはコピーされ各細胞が同じ情報を受けとるが、細胞によって使われる遺伝子は決して同じではない。各々の細胞が特有の性質、機能をもつようになることを‘分化’という。分化の過程で発現する遺伝子の組み合わせが異なることで、あるものは筋肉細胞になり、あるものは神経細胞になるのである。いわばゲノムDNAという’設計図‘はどの細胞も同じだが、どの部分の情報を、いつ、どこで、どのように用いるのかは細胞ごとに異なる。このように遺伝子の発現がコントロールされることを’遺伝子制御‘という別項4–p15

ゲノムDNAは細胞内で主にヒストンというタンパク質と結合している。以前、ヒストンはDNAの保護的役割をするタンパク質という認識であったが、近年このヒストンの機能がクローズアップされている別項。ヒストンとDNAは化学的性質により絡み合っているが、ヒストンの端の化学修飾基を変化させて性質を変えることによって、DNAからの距離を調節できるのだ。

遺伝子発現にはまず転写を制御をする因子がDNAに結合する必要がある。ヒストンの化学的性質が変化することでDNAとヒストンの絡み合いが緩くなれば転写因子がDNAに近づきやすくなり、遺伝子は発現されやすくなる。逆に縮まれば遺伝子の発現は行われにくくなる別項。このような仕組みによって特定の遺伝子が必要に応じて選択的に発現するよう、制御されているのだ。

化学修飾はヒストンだけではなく、直接DNAにも行われている。DNAにメチル基が付加されると、その近くの遺伝子の発現が抑制されることも知られている別項1。この分野は現在活発に研究が進んでおり、新たな発見が期待されている。

ヒストンやDNAの化学修飾にはメチル化酵素などの触媒が必要になるが、この酵素を活性化させるのにさまざまな因子を必要とする。これらの因子は栄養、代謝系の中間産物であることが多い。太田邦史博士は著書『エピゲノムと生命』で以下のように指摘している。エピジェネティックな『化学修飾は‘栄養の変化’という外部からのストレスに対する適応機能を持っているのではないか別項5–p144』。この仕組みにより同じゲノムDNAでも利用できるパターンの数を増大させることが出来、多様な遺伝子発現パターンを生み出すことが可能になる。ひいては『環境変化にしなやかに適応する柔軟性や可塑性を獲得することにつながった別項5 –p261』。

バーカー説に戻ろう。胎児期に栄養が不足すると、飢餓に対応するための遺伝子が選択的に活性化すると考えられる。すると大人になって同じカロリーを摂取していても普通の人間より栄養を効率的に体内で利用できることになる。飢餓のときはよくても、『現在のように飽食の時代になると、このような飢餓に対抗する遺伝子がアダになる別項5-p250』ことで、過剰な栄養摂取により心臓病などの発症リスクが高くなるわけである。

《語句解説》

代謝:体に取り込んだ物質を別の物質に変換したり、そのまま諸種の経路で排泄したりする体の機能 


DNA(デオキシリボ核酸): 基本単位はヌクレオチドとよばれ、五炭糖とリン酸および塩基からなる。酸性を示す。五炭糖に水酸基が2つならリボヌクレオチド、1つならばデオキシリボヌクレオチドとよばれる。DNAはデオキシリボヌクレオチドがつながってできており、リボヌクレオチドがつらなったものはRNAとよばれる。DNAには4種類の塩基があり、それぞれアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)と呼ばれる。遺伝情報は塩基の並び方、すなわち塩基配列によって決まる。4塩基には組み合わせがあり、アデニンはチミンと、グアニンはシトシンと‘相補的に’結合する。ゲノム遺伝子を成すDNA配列は、通常2本鎖の形で存在しており、互いの鎖は‘相補的’な塩基の並びになっている。 


ゲノムと遺伝子: ヒトはおよそ2万から2万5千種類の遺伝子をもつが、その割合はヒトゲノム配列のわずか1.5%の領域にすぎない。この領域をコード領域とよぶ。残りの大半のゲノム配列を非コード領域というが、以前はジャンクDNAとも呼ばれ、あまり意味のない‘がらくた領域’と考えられていた。しかし近年、この非コード領域の重要性が明らかになってきている。2012年の報告によればヒトゲノムのおよそ80.4%が何らかの機能を果たしているという別項3。非コード領域には、転写に必要な因子が結合すると考えられる領域が多数存在している。また非コード領域はタンパク質になることはないが、RNAに転写される部分が多く、このRNA自体が転写制御に大いに関係しているらしい。 ヒストン:ヒトのヒストンはH1、H2A、H2B、H3、H4の5種類。塩基性のアミノ酸が多いので、酸性のDNAと相互作用して絡みやすい。H2A、H2B、H3、H4のヒストンがそれぞれ2個づつ集まって計8個のヒストンタンパクが1単位となってDNAに絡みつき、ビーズのようにつらなる。H1ヒストンはビーズ間のDNAに結合している。

タンパク質:タンパク質の基本単位はアミノ酸で、アミノ酸がペプチド結合により鎖状につらなったものが折りたたまれて構造をなすことで細胞での機能を請け負う。アミノ酸は20種類ある。
転写、翻訳:遺伝子からタンパク質が出来る過程をタンパク質合成とよぶ。タンパク質合成には’転写’と’翻訳’という2つの段階がある。
転写ではDNAの二重鎖がほどけ、どちらか片方が鋳型となり、鋳型に相補的なメッセンジャーRNA(mRNA)という分子配列を作ることで、DNA配列の情報を’写し取る‘。 次の‘翻訳’段階でRNAに写し取った情報をアミノ酸に変換する。実際には3塩基の並びが1つのアミノ酸を呼び込む暗号に相当している。翻訳されてつらなったアミノ酸の並びは折り畳みなどの過程を経て、タンパク質になる。
語句参考文献: 『医学大辞典第2版』 医学書院
『遺伝子図鑑』 国立遺伝学研究所遺伝子図鑑編集委員会 悠書館

《別項内参照文献》