妊娠中や授乳中の鉄は、貧血予防のためだけでなく、赤ちゃんの発達にもとても大切な栄養素です。今回は、妊娠・授乳中の鉄の役割や必要性について詳しく説明します。
鉄は生体のさまざまな機能を維持するために無くてはならない栄養素です。ヒトの体内にある総鉄量のうち、約60%はヘモグロビンに、約10%は筋肉のミオグロビンに存在し、酸素の運搬に重要な役割を担っています。また、20~25%は貯蔵鉄として、肝臓、脾臓、赤色骨髄、腸などに分布しています。血液中に存在するのは全体の0.1%程度といわれており、そのほとんどがトランスフェリンというタンパク質と結合しています。
さらに、鉄は脳の形態、機能、エネルギー代謝に関与しています。例えば、鉄はモノアミン系神経伝達物質であるドーパミン、ノルエピネフリン、セロトニンの合成と分解に必須であるため、神経伝達に影響します。それから、鉄は脳のエネルギー代謝に不可欠のリボヌクレアーゼ還元酵素の補酵素でもあります。また、鉄は神経細胞の髄鞘化にも関与し、記憶にも影響することがわかっています。
鉄欠乏症の代表例は貧血です。鉄欠乏性貧血は次の3つの段階に分けて定義されます。
もっとも程度の軽い段階で、潜在的鉄欠乏症と呼ばれる状態です。この段階では、貯蔵鉄の減少または欠如が起こります。
この段階の鉄欠乏症は貯蔵鉄が枯渇した後に起こります。血清鉄の濃度が減少し、トランスフェリン濃度が増加、そしてこの結果トランスフェリンの鉄飽和度が15%以下に低下します。鉄欠乏に伴いヘモグロビン合成が阻害されますが、この段階での鉄欠乏症では、血中のヘモグロビン濃度は正常範囲内にとどまります。
この段階では、明らかな鉄欠乏性貧血がみられ、ヘモグロビン合成障害により血中ヘモグロビン濃度またはヘマトクリット値の低下が認められます。
ところで、鉄が欠乏すると、貧血になる前の潜在的な欠乏状態でも脳の発達などの生体機能に影響するといわれています2。例えば、鉄の欠乏は、神経の樹状突起形成を減らし、オリゴデンドログリアの髄鞘化を阻害することが知られています。また、鉄が欠乏すると脳の特定部位でエネルギー産生が低下することがわかっています。ただし、成人においては、脳における鉄はほとんどが脳内で再利用されるため3、体内の鉄欠乏あるいは鉄過剰の影響を受けることは少ないようです。
鉄の吸収は十二指腸から小腸上部で行われます。食事によって摂取された鉄は、同時に摂取した還元性物質によって3価の鉄イオン(Fe3+)から2価の鉄イオン(Fe2+)に還元されます。その後、腸管粘膜細胞において能動輸送によって吸収されます。鉄の吸収は食物中のイオンやその他の成分によっても影響を受けます。また、体内の鉄に対する需要によって変化します。大量出血などで大量の鉄が要求される場合には、まず貯蔵鉄が動員され、それが著しく減少した後にはじめて吸収が増加することがわかっています。
成人における鉄の腸管吸収はとても少なく、1日に1~1.5mgといわれています。食事中に含まれるほとんどの鉄はそのまま糞中に排泄されます。このように鉄の吸収が少ないのは、体内の鉄を再利用しているためです。古くなった赤血球は体内で破壊されますが、このとき赤血球に含まれていた鉄は、排泄されずにそのまま再合成に利用されます。1日に合成分解されるヘモグロビンの鉄は20~25mgといわれていることから、鉄の大部分が再利用されていることになります。
鉄の体内でのバランスは他のミネラルとは異なり吸収の調節にのみ依存しています。鉄の排泄を調節する機構は知られていません。皮膚、消化管など、体内の古くなった細胞が剥離する際に細胞内に含まれていた鉄が常に排泄されています(平均0.96 mg/日)。また、女性では月経により大量の鉄が排泄されます(平均17mg/回)。
妊娠すると、胎児の発達のためにより多くの血液が母体内に必要となり、妊娠末期までに血液量は約1.5倍になります。そのため、血液中の鉄もより多く必要になります。また、胎児の発達にも鉄は必要です。単胎妊娠の場合では、母体は妊娠中に約1,000mg程度の鉄が必要となるといわれています。そのうち3分の1は胎児や胎盤の発達に使われます。それから、母体の血流量増加に伴うヘモグロビン増加の需要として3分の1が消費され、さらに残りの3分の1が皮膚や消化管などから失われます。したがって、厚生労働省による「日本人の食事摂取基準」4では、妊娠・授乳中の鉄の摂取量を下表のように設けています。
表 妊娠・授乳期の女性における鉄の食事摂取基準
年齢等 | 推定平均必要量 (㎎/日) |
推奨量 (㎎/日) |
耐容上限量 (㎎/日) |
|
---|---|---|---|---|
19~29歳 | 妊娠初期 | 7.0 | 8.5 | 40 |
妊娠中・後期 | 17.5 | 21.0 | ||
授乳期 | 7.0 | 8.5 | ||
30~49歳 | 妊娠初期 | 7.5 | 9.0 | 40 |
妊娠中・後期 | 18.0 | 21.5 | ||
授乳期 | 7.5 | 9.0 |
(「日本人の食事摂取基準」4より改変)
※推定平均必要量:半数の人が必要量を満たす量
※推奨量:ほとんどの人が充足している量
※耐容上限量:過剰摂取による健康障害を回避する量
妊娠中に鉄が不足すると、鉄欠乏性貧血となります。妊娠時の鉄欠乏性貧血は食事からの鉄摂取のみでは改善が難しいと考えられており、鉄剤の投与が必要になる場合があります5。妊婦健診の際の検査結果に応じて必要な治療を受けてください。
軽度から中等度の母体の貧血は周産期予後にほとんど影響しないとされています。一方、重度の場合では、羊水量の減少や胎児の脳血管拡張、胎児心拍異常と相関し6、早産や自然流産、低出生体重児、胎児死亡などのリスクが増加するといわれています7。ただし、貧血と胎児の発達については、まだ議論が続いており、関連が低いとする見解もあります。しかしながら、胎児の発達に鉄が必要であることは間違いありませんので、妊娠中は積極的に摂取してほしい栄養素です。
ところで、国内のある研究結果によると、妊娠女性と非妊娠女性の鉄摂取量はほぼ同じであるのに対して、貧血になる割合は妊娠女性の方がわずかに高い程度であることがわかっています8。妊娠期の方が鉄の必要量が高まっているのに対し、摂取量が同じではもっと多くの人が貧血になるのでは、という予想に反した結果でした。そこで、妊娠期には鉄の吸収率が高くなっているのではないかと考えられています。実際に妊娠女性における鉄の吸収率を調べた結果では、約25~40%9, 10と研究によってバラツキがあるものの、非妊娠時の吸収率(14~16%)11, 12 と比較するといずれも高くなっていることがわかっています。
しかしながら、妊娠前の貯蔵鉄の量には個人差があります(0-300mg)13。妊娠により鉄の吸収率が高くなったとしても、貯蔵鉄の量によっては妊娠中に貧血になる可能性もあります。鉄は摂取した量に応じてたくさん吸収できるものではありません。毎日の食事から少しずつ鉄を蓄えるようにしましょう。
出産時に出血があるため、鉄が大量に失われますが、一般的には妊娠中に増加した血液よりも出血量の方が少ないため、鉄の損失は考慮しなくてもよいとされています。ただし、出産時の出血が多い場合には、その後の検査結果に応じて鉄剤投与などの治療が必要になりますので、医師の指示に従ってください。
出産後、母乳育児を行う場合には、母乳の分泌量に応じて普段より多くの鉄の摂取が必要になります。そこで「日本人の食事摂取基準」4では、母乳中の鉄濃度や哺乳量などの平均値から、1日に摂取する鉄の量は、推定平均必要量で7~7.5mg、推奨量で8.5~9.0㎎と設定しています(上述の表参照)。母体の血液中にある鉄は能動輸送によって積極的に母乳中に移行されます。つまり、母体が貧血の状態であっても母乳に優先的に鉄が移行されます。したがって、母乳育児中には積極的に鉄を摂取しないと母体が貧血になる可能性が高くなります。なお、母親が鉄剤を内服しても母乳中の鉄濃度は高くはならないことがわかっています14。
ところで、授乳中の女性では、鉄の摂取量が同じでも妊娠していない女性、及び授乳していない女性と比べての貧血有病率が低いという研究結果があります15。授乳中の女性の鉄の吸収率についてはまだわかっていませんが、妊娠中と同じように高くなっている可能性があるかもしれません。
一方、生まれたばかりの赤ちゃんは成長に伴い、必要な鉄の量が増え、貯蔵鉄として蓄える鉄の量も増えていきます。母乳中の鉄の濃度はミルクに比べると低いのですが、利用率が平均20%16と高いため、生後4~6か月間は貧血にならないといわれています。また、正期産で出生時体重が正常範囲の新生児は生後4~6か月までは体内の貯蔵鉄を利用しているといわれています。
ただし、日本人において、母乳栄養児はミルクで保育されている乳児と同じように成長しますが、生後6か月の時点でヘモグロビン濃度が低く、貧血を生じやすい傾向があるとの報告があります17。母乳だけでは鉄の必要量を満たせない場合があると考えられています。
それに対し、ある研究結果18では、血中フェリチン濃度を指標とした鉄欠乏を示したのは出生時体重2500g未満の児に多く、3000g以上の児では認められなかった、としています。つまり、在胎中母体から十分な栄養供給を受けた児は母乳のみでも鉄欠乏になる可能性は低いが、出生時体重が軽い児では在胎期間中の鉄貯蔵が十分ではない可能性があると考えられています。 つまり、貯蔵鉄が生後の成長に見合うほど蓄積されていない児では、6か月未満でも鉄欠乏のリスクが高くなると考えられます。このようなケースは、低出生体重児、妊娠週数に比べて出生体重の軽い児、出生児に貧血のあった児に多いと考えられています19。
生後6か月を過ぎると、ほとんどの赤ちゃんで体内の貯蔵鉄が枯渇し、鉄の補充が必要になってくると考えられています。乳幼児期における鉄欠乏性貧血の有病率は、日本における調査では6カ月児で5%、18カ月児で2.7%20という報告があります。乳児期の鉄欠乏性貧血は行動や認知発達に影響を与えるという考えもあり21、早期に発見して治療することが大切です。
ただし、乳児期の鉄欠乏性貧血と神経発達への悪影響については、まだ議論が続いており、確かなエビデンスが不足しています22。鉄欠乏と神経発達の関係を明らかにするには、影響因子が多い上に、試験を行うのが難しいことから、確かなエビデンスが得られにくいのです。しかしながら、鉄欠乏と神経発達の関係がはっきりしないとしても、乳幼児の鉄欠乏性貧血や鉄欠乏を最小にすることが大切であることは言うまでもありません。離乳食が始まりましたら、母乳以外からも鉄分をしっかり補給してあげましょう。
鉄を摂るにはまずレバー、と考えるかもしれませんが、実際にはレバー以外にも魚介類、海藻など、鉄を多く食品はたくさんあります。食品中に含まれる鉄にはいろいろな形態があり、主にヘム鉄と非ヘム鉄に分けられます。ヘム鉄はヘモグロビンやミオグロビンの形で存在しており、このままの形で腸管上皮細胞に吸収されるため、吸収率が高く15~25%といわれています。一方、非ヘム鉄は三価の鉄イオン(Fe3+)の形で存在している場合にはほとんど吸収されず、同時に摂取した還元物質や腸管の還元酵素によってFe2+の形に変化してから吸収されるため、吸収率が低く2~5%と言われています。ヘム鉄は赤身の肉や魚などの動物性食品(卵、乳製品を除く)に多く含まれています。一方、非ヘム鉄は植物性食品、卵、乳製品に含まれています。鉄の吸収率は様々な食事中のヘム鉄と非ヘム鉄の構成比、鉄の吸収促進並びに阻害要因となる栄養素や食品の摂取量及び鉄の必要状態によっても変わります。一般的には食事からの鉄の吸収率は14~16%と考えられています11, 12。鉄吸収を促進および阻害する主な栄養素は以下のものが挙げられます。
鉄吸収促進因子:ビタミンC23、タンパク質24
ビタミンCの効果は酸化防止作用とキレート作用によるものとされ、さまざまな鉄吸収阻害因子の作用を上回るとされています。肉や魚などのタンパク質を含む動物性食品はヘム鉄を供給するのに加え、非ヘム鉄の吸収を促進します。 鉄吸収阻害因子25:フィチン酸、ポリフェノール、カルシウム、カゼイン、乳清蛋白、大豆たんぱく、無機リン酸、繊維質など
フィチン酸は穀類、豆類など植物に多く含まれています。また、カルシウムについては、多くの阻害物質と促進物質が混ざっている食事を摂取する中では、カルシウム単独の鉄吸収阻害作用はあまり問題とならない、といわれています26。
食事から鉄を効率よく吸収するためには、肉や魚など動物性の食品に多く含まれるヘム鉄を取り入れるのがよさそうです。ただし、脂肪を摂り過ぎないように注意が必要です。一方、日本人が食事から摂取する鉄の約85%以上が吸収率の少ない非ヘム鉄であるといわれています。非ヘム鉄を取り入れる場合には肉魚やビタミンCを加える、など食品の組み合わせを考えてみましょう。
ところで、鉄の補給はサプリメントを利用することで比較的簡単に付加量を確保することができます。ただし、サプリメントでは特定の栄養素を補給することができますが、他の成分を補給することはできません。複数の栄養を含むサプリメントも数多く流通していますが、特に脂溶性ビタミンであるビタミンAなどの過剰摂取にならないよう、注意する必要があります。サプリメントを摂取する場合には事前に主治医に相談してください。なお、鉄の過剰摂取により亜鉛や銅の吸収が抑制されることが知られています。亜鉛も銅も必須ミネラルであり、不足すると赤ちゃんの成長にも影響するので注意してください。