毎日毎日母乳を飲んでいる赤ちゃんを見て、飽きないのかな・・・、と思うことはありませんか?今回はお母さんの食事と母乳の味について説明します。まず、母乳の成分から始めます。
母乳の主な成分は脂肪、タンパク質、炭水化物、ミネラル、ビタミンが挙げられます。
母乳中の脂肪は主にトリグリセライドです。脂肪は赤ちゃんの成長のための熱量としてだけでなく、網膜と神経組織の発達、細胞膜の合成、ホルモン合成において重要です。
母乳中のタンパク質はカゼイン、乳清タンパク質、非タンパク質性窒素の3種類に分けられます。乳清タンパク質には消化吸収性に優れ栄養価に富んだαラクトアルブミンが大部分をしめています。タンパク質には消化されアミノ酸として使用されるだけでなく、免疫物質や成長因子、ホルモン、酵素など赤ちゃんの体内で直接作用するものも含まれます。
母乳中の炭水化物の主成分は乳糖です。乳糖には、カルシウムの吸収を促進する作用があります。ほかにはオリゴ糖、糖脂質、糖タンパク質が含まれています。乳糖に次いで多いオリゴ糖は、母乳中には200種類以上含まれています。オリゴ糖は赤ちゃんの腸内において、ビフィズス菌の増殖を促進したり、病原菌を防ぐことで腸内環境を整えていると考えられています。
母乳中のミネラルには多量元素といわれるカルシウム、マグネシウム、リン、ナトリウム、カリウム、塩素などの他、微量元素といわれる鉄、銅、亜鉛、ヨウ素などが含まれています。母乳中のミネラルは低分子タンパク質と結合しているので吸収しやすくなっています。
母乳中のビタミンには水溶性のB1、B2、ナイアシン、B6、B12、C、パントテン酸、葉酸と、脂溶性のA、D、E、Kに大別されます。大人と同じように重要な栄養素ですが、母乳中にはビタミンKとDが不足しやすいので注意が必要です3。
以上の栄養成分に加えて、母乳中には免疫に関わる物質として、分泌型IgA、ラクトフェリン、リゾチーム、オリゴ糖、細胞成分(リンパ球・マクロファージ)も含まれます。
母乳の成分は変動的で、様々な要因によって成分組成が変化することが知られています。例えば、母乳が分泌する時期や一回の授乳中での変化がよく知られています。
・分泌期による変化出産後から産後2日目頃までに分泌される乳汁を初乳といいます。また、産後10日前後の乳汁分泌が確立された時期より後に分泌される乳汁を成乳といいます。初乳と成乳では成分に違いがあり、初乳中の濃度が高いものとしてタンパク質、成乳中の濃度が高いものとして脂質・糖質(乳糖)が挙げられます。初乳のタンパク質が多いのは、免疫グロブリンなどの免疫にかかわる成分が多いためと考えられています。また、成乳では脂質・糖質が多く、成長に必要な熱量を増やすためと考えられています。
・一回の授乳中の変化授乳のとき、最初のほうに分泌される母乳を前乳、最後のほうに分泌される母乳を後乳と呼びます。前乳と後乳では濃度が異なる成分がいくつかあります。たとえば、前乳には乳糖や水溶性のビタミンが多く含まれています。一方、後乳には脂肪や脂溶性のビタミンが多いことがわかっています。したがって、授乳の際には脂肪の多い後乳まできちんと飲ませてあげることが大事です。
他にも、母乳の成分に影響する要因として、母体の食事内容、栄養状態、健康状態、年齢、出産回数、乳児の在胎週数(未熟児、成熟児)、季節、地域、搾乳量、搾乳時刻(日内変化)、搾乳方法(手動・機械)などが挙げられています。
母乳の成分が変われば当然味も変わります。したがって、赤ちゃんの成長に伴って初乳と成乳では味が変わりますし、一回の授乳中にも味の変化があるといえます。では、お母さんの食事によって母乳の味(成分)はどのように変わるのでしょうか?
母乳の成分が食事の影響を受けることは知られていますが、過剰に摂取したり、極端に不足している場合を除くと、一定の範囲内での変動になります。この一定の範囲内での変化が母乳の味に変化をつけていると考えられます。母乳の成分ごとに食事との関係をみていきましょう
・脂肪母乳の成分のうち最も食事内容の影響を受けるのは脂肪の「組成」です。脂肪の濃度はほとんど変わらないけれども、脂肪の種類が変わるといわれています。よく、油っぽいものを食べると母乳の脂肪分も高くなるような話を聞いたことがあるかもしれませんが、少なくとも栄養状態の良い女性については食事によって母乳中の脂肪濃度に変化はみられないことがわかっています。一方、栄養状態のよくない女性の場合には、食事による脂肪の量が増えると母乳中の脂肪濃度も増加することがわかっています。つまり、普段から適量の脂肪を含んだ食事を十分に摂ることが大切です。脂肪は赤ちゃんの網膜や神経の発達にとても大事な栄養素ですので、むやみに脂肪を避けるのは控えた方がよいでしょう。
・タンパク質初乳から成乳にかけて徐々に減少した後、個人差はありますがほぼ一定の濃度(0.92~2.11g/mL)を保ちます。一方、日本における母乳中のタンパク質濃度を時代別の調査結果で比較すると1960年、1979年、1989年とタンパク質濃度が増えてきています。これは、食生活の変化によってタンパク質摂取量が増えたことと一致していると考えられています5。したがって、母乳中のタンパク質濃度はある程度食事の影響を受けると考えられます。
・炭水化物母乳中の炭水化物の主成分は乳糖です。乳糖は水分に次いで母乳中に多く存在する成分です。母乳中の乳糖量はもっとも安定しており母親の食事による影響を受けにくいと考えられています。
・ミネラル母乳中のカルシウム、リン、マグネシウム濃度は母親の血清中濃度に関係しません。したがって、食事の影響は受けないと考えられます。また、母親が鉄剤を内服しても母乳中の鉄濃度が増加しない6ことから、鉄も食事の影響を受けません。
・ビタミン一般的に、母親のビタミン摂取が極端に少ないと母乳中のビタミン濃度も低くなります7。しかし、母親のビタミン摂取が通常の範囲であれば、母乳中のビタミン濃度は安定しており、摂取量による影響は少ないと言われています。ビタミンのうち、母親からの摂取量に比較的影響されやすいものとして、ビタミンA、D、Kが知られています8。一方、母親の血清濃度よりも母乳中の方が高くなるものとして、ビタミンC、ビタミンB6が知られています。ビタミンB12は食事の影響を受けにくいですが、厳格な菜食主義者では子どもが欠乏することがありますので注意が必要です9。
一方、母乳の匂いも食事によって影響を受けることがわかっています。例えば、健康な授乳婦がにんにく成分をカプセルで摂取する、という研究では、母乳中に混在する匂いは摂取2時間後にもっとも強く、3時間後にはほとんど消失することが示されています10。また、別の研究では、母乳採取直前の食事を脂質が多いものに変えた場合、食事に変化がない群に比べて匂いの質が変わることを報告しています11。つまり、母親の食事が普段と大きく変わるときには母乳の匂いが変化するようです。
普段私たちが「味」と感じているのは「味覚」と「嗅覚」を合わせた「風味」といわれるものです。母親の食事により味覚を刺激する母乳の成分が変化し、嗅覚を刺激する母乳の匂いも変化していることから、「味=風味」も変化すると考えてよさそうです。では、赤ちゃんにはこの風味の違いが判るのでしょうか?
赤ちゃんが味や匂いを感じている、ということを示す研究報告は数多くあります。
味覚については、胎生2,3か月の赤ちゃんにも大人と同じ構造をした味蕾が観察されています12。また、別の研究では8カ月の胎児のX線造影時に苦味のあるリピオドールという物質を羊水中に注入すると、飲み込む羊水量が減り13、甘いサッカリンという物質を羊水中に注入すると、羊水を飲み込む回数が増加することが示されています14。つまり、胎児期の赤ちゃんでもすでに好ましい味と嫌な味を識別することができると考えられます。
一方、生まれたばかりの新生児の赤ちゃんではより明確に味の識別が可能であることが確かめられています15。写真やビデオ画像を用いて新生児の表情を観察すると、苦味溶液を舌の上に滴下したときには、児は上唇をあげたり、口を開けて舌を突き出します。また酸味溶液に対しては唇を動かし、鼻に織を寄せ、まばたきするなどの表情を示します。それに対して、甘味溶液やグルタミン酸などのうま味溶液を与えると、新生児は満足した表情の快反応を示します。新生児の段階ではいろいろな味を明確に識別し、それぞれの味覚刺激に対する反応(表情)を伝える手段を生まれつき持っているといえます。
一方、嗅覚についてはどうでしょうか。嗅覚は、妊娠29週ころには十分機能しているといわれています。胎児は羊水のにおいを感じることができ、母親が摂取したニンニク、シソ、アルコール、にんじん臭は胎児の行動に影響を与えることが知られています16。また、出生後については、洗浄していない乳頭と洗浄して匂いを取り除いた乳頭では、有意に赤ちゃんは洗浄していない乳頭の方に向かうことが解っています17。別の研究で、生後2日目では自分の母親が使用した乳パットとほかの母親の乳パットの区別がつかなかったが、生後6日目では自分の母親の乳パットの方に向くようになり、生後10日目にはよりはっきりし区別ができるとされています18。このように、赤ちゃんは生後早い段階で匂いをかぎ分けることができるとされている。
食べ物で母乳の味や匂いが変わる、と知るとカレーやトウガラシなど刺激物を食べることが気になるかもしれません。実際、授乳中にお母さんが初めてそれらのものを食べたとき、赤ちゃんは新しい匂いを感じて、戸惑うかもしれません。しかし、赤ちゃんは同時に学習もします。ちなみに、にんにく成分を摂取したお母さんの赤ちゃんの多くは、にんにくの匂いの混ざった母乳に対し、いつもより長く乳房をくわえていたといいます 11。赤ちゃんは母親の食べたものの匂いを母乳から感じ、学習していくことによってそれを安全なものと認識し、その後の「嗜好」が形作られると考えられています。
例えば、母乳を介していろいろな食べ物のにおい・味の経験をしていると、子どもになっても、食べ物の選り好みが少ないという報告があります19。また、新しい食べ物に挑戦する意欲があり20、野菜や果物を多く摂取する21といわれています。
さらに、食事による味や匂いは羊水にも移行することがわかっています。動物実験では、羊水中で記憶した味や匂いを持つ食べ物は、離乳期や、大人になってからでも好む食べ物であることが報告されています22, 23。ヒトにおいても、妊娠第3期か新生児期に、母親がにんじんをたくさん食べると、生まれた赤ちゃんは,にんじんをたくさん食べなかった母親から生まれた赤ちゃんに比べてにんじんが好きになるといいます24。
このように、赤ちゃんは羊水や母乳の匂い・味を通して母親が食べたものの匂いや味を共通体験し、学習していきます。つまり、妊娠・授乳を通して赤ちゃんへの食育が始まっているといってもいいでしょう。妊娠・授乳中は食べるものを制限するよりも、さまざまなものを食べて羊水や母乳を通して赤ちゃんにいろんな味や匂いを体験させてあげましょう。